キヨマーについて

「明日の一面は『ロッテ8連勝』か、それとも『楽天連敗脱出』かな?」と楽しみに思いながら帰ってきたら、ありゃりゃ。何か余計な大記録が達成されていてショボーン。あまり語るチャンスもないと思うので、最近彼について思っていたこと。

「ケツの穴ちっちゃい」発言
相手バッテリーには、あなたの丁半バクチに付き合う義務も必要性もないと思いますが? プロセスはどうあれ、求められている結果を残すのが「四番の仕事」だと思うのです。凡退の責を相手の配球に帰すなんて、本末転倒もいいとこだよ。


それでですね。こんなのは至極当たり前の意見ですので、ちょっとこれを違う角度から考察してみようかと思うのですよ。つまり、「なぜ清原はこんなことを考えるのか?」ということです。


さて、いま自分の手元にはNumber(5/5発売号)があります。この号はNumberの創刊25周年記念号で、「日本野球の25人 ベストゲームを語る。」という特集が組まれています。その中に清原自身のインタビューも掲載されているのですが、プロでこれまでに2千余試合を戦ってきた彼が“ベストゲーム”として挙げたのは意外にも(?)PL、そして「KKコンビ」が2度目の全国制覇を成し遂げた高3の夏、宇部商業との決勝戦なのです。

以下、清原の回想(囲み内は記事からの引用、<>カッコ内は自分の脚注)。

「絶対にストレートが来ると信じていました。彼の持ち味はやっぱりスピードボール。ピッチャーだったら、やっぱり自分の最も得意とするボールで勝負したいんじゃないかと思っていましたから」

<そして、投じられたストレートを捉えた清原は2打席連続となる本塁打を放つ。試合の勝敗だけを考えれば、勝負を避けてもいい場面だったが…>

「彼もそこで変化球を投げて、たとえ抑えたとしても………うーん、そういう勝負じゃなかったんじゃないかな。彼にとっても、最後の甲子園だったから」

この箇所に、すべてが集約されている気がするんですよね。


思うに、清原という選手は、未だに「最後の甲子園」の中にいるのではないかと。打者が待っているところに投手が渾身の力でその球を投げ込み、結果はともあれ、互いにすっきりする形でケリをつける。甲子園、そしてプロに入ってからも、野茂や伊良部といったパの豪腕投手たちとそういった戦いを繰り広げてきた彼にとっては、それがもっとも自然で納得のいく「勝負」の形なんじゃないかと思うんですよ。

そう考えると、数試合にわたる足踏みや凡退の苛立ちがあったとはいえ、ああいった発言をするのも理解できなくはないかな、という気はします。


ただし。
それはあくまでも個人としての感情、願望であって(彼が常々口にする)「チームへの貢献」とは別物。繰り返すようですが、来た球を、どんな球種であれ打ち返す。それがプロの仕事です。


勝戦の回想の終わり際、彼はこんなことを語っています。<清原にとって、4番打者としての理想像は漫画『ドカベン』の山田太郎だという>

「漫画だけどね。でも、あんなバッターになりたいと昔から思っていた。実際、『ここで打てば』という場面で、バッターは打てないことが多いから。でも、あの宇部商との決勝戦では、それだけの活躍ができたかなと」

宇部商業との決勝戦から20年。清原和博は理想の打者像に近づいているのか、それとも遠ざかっているのでしょうか。


最後に、「自分が監督だったら清原をどう使うか?」ということを考えてみましたが、下の2つくらいしか思いつきません。

①大差がついた試合の最終回に代打で起用。心置きなく直球を待たせてあげる
②僅差の試合、1塁が空いた状況で代打起用。その威圧感で相手バッテリーをびびらせ、四球をもぎ取りチャンスメイク(そして代走を出す)

…うまく使いこなせませんね。どうも自分は監督業には向いていないようです。